2011年3月11日。
※当ブログは、私の信条で「書くならポジティブメッセージ」なのですが、今回の件は、今後忘れない為に書いておきます。
ついにこの日が来てしまった、という感じです。
2011年3月11日14時46分発生。東北・関東大震災。
私のささやかな1日を書いてみようかと思います。
【発生前】
私はB面の事務所(東京都葛飾区・4階建て中3階)におりました。
当日は3泊4日のB面九州〜名古屋出張の直前で、あと1時間ほどで出発予定で最終準備をしていました。
【発生】
デスクに座っていたのですが、縦揺れを感じ、そこからゆったりとした横揺れを感じました。
最初に思ったのは、
「あ、水曜日(3月9日)と同じような揺れだな。また宮城沖かな」
ということでした。余震かー。余震にしては大き...。
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ...」
横揺れがどんどん大きくなっていきました。
だんだん椅子に座っていられなくなり、同僚の机から書類が落ち、女性からは悲鳴が。
ちなみに私のいた場所は、最近改装したとはいえ築30年選手の4階建てのビル。
「地震が来たら危ないよねー。」
と普段から同僚と冗談を言っていました。
逃げるか!
しかし、もはや動けるような揺れではありませんでした。なんとか机の中に隠れ、様子を見ていると、近くの柱と天井の歪む様を見て、正直、
「終わった...か...?」
と思いました。
しかも揺れがかなり長かったのです。今までの定説だと、地震は揺れて1分、という話でしたが、ゆうに1分を超えていました。
2分過ぎたあたりで、ようやく揺れが収まってきました。
地震終了。ざわつく室内。
無事を確認し、書類を片付けるか。と思ったあたりに、
余震。
たまらず、全員で外に退避しました。
そこからは、早退する人、怖がって動けなくなる人、様々でした。
そんな私も、皆さんの安否を確認する為携帯を持ったとき、正直に言うと手が震えてました。
【発生後:B面続行できるか?】
私はデスクに戻り、出張の可能性を模索しました。羽田空港18:30発の飛行機に乗るべく、飛行機の欠航の確認をしましたが、ウェブサイトには「搭乗手続中」と表示。上司と相談しながらぎりぎりまで出張を検討しました。つまり、出張に行こうとしていたのです。
しかし、余震も続き、状況がTV等で分かってくると、さすがに、
「これは飛ばないかもなー...。」
と、再度ウェブサイトをチェックすることを繰り返していました。で、17:30の時点で、自動応答電話でようやく「欠航」を確認し、出張を断念。
【自力帰宅か?残るか?】
自力帰宅を推奨していたので、実家に向かう手はずをとり始めました。しかし、携帯電話はつながらず、自宅メールにて実家と連絡を取り始めました。
しかし、時間も夕方。2次災害が恐れがあるという話がTVから出始めました。
夜、B面メンバーが一堂に集められ、今後の「指示」が出されました。
「原則、例外を除き、2次災害の可能性があるため、自力帰宅を禁止。事務所にとどまること。」
ということで事務所に宿泊決定しました。その数約100名。
【被害状況】
デスクに戻ると、同僚から、
「トイレ見て!」
との話。見てみると。
クラックが入っていました。よくよく見ると、階段にも同様のクラックが。地震の大きさと、それに対する心配が増幅しました。
【B面先宿泊】
B面先で軽食が出ました。しかし、その前から覚悟を決めていたので、同僚と一足先にコンビニで食事を確保し、夕食をとっていたので安心でした。
そこからは12時までデスクで情報収集。そこで有用だったのが以下です。Twitterにも書きましたが再掲(一部追加)します。
・Twitter(落ちずに動向をシェアできた・DMも助かった)
・Skype(落ちずに3箇所にいる家族がいっぺんに会話出来た・電話回線を阻むことがなかった)
・Ustream(テレビないところでNHKをチェックできた)
特に放送局のUstreamミラー放映は助かりました!
深夜過ぎたあたりで、デスクの下で寝ることに。寝る前に、入社来大事にとってあったヘルメットがあったことを思い出し、取り出そうとデスクの下をがさごそ。
...。出すのに3分かかりました。いつも非常用で出しやすい位置においていたつもりでしたが、多くの書類に阻まれました。大きな反省点です。命があってよかったです。
【朝・そして帰宅】
朝、5時に起こされ6時に再度集合。夜の間の状況の報告を頂き、交通状況・今後の予定を確認しました。
7時30分、再度集合し、交通状況を鑑み、解放宣言が出ました。
9時頃会社を出社。最寄り駅から京成押上線へ。35km/hの徐行運転で、駅でも間合いを取り、通常の3倍の時間がかかり押上駅へ。
いつもなら京成押上線と都営浅草線は直通運転をしているのですが、今回はしておらず、階段で乗り換えることに。
ちなみに、私は3泊4日分の荷物を持っていたため、移動が正直大変でした。
都営浅草線は発車したらきわめて順調に走行。間合い停車があったものの、たいした遅れはなく三田駅に到着。
三田駅では都営浅草線の北行きの列車が来ていないらしく、長蛇の列。しかし、他の方も書かれていましたが、混乱することなく整然と並んでいました。素晴らしい!
都営三田線ホームで、行き先を迷っている海外の旅行者に会い、あからさまに迷っていたので、
"May I help you?"
と。大手町へ行きたかったとのことでした。こんなちょっとしたことでもこういうときは力になれてうれしいです。
なんと、都営三田線・東急目黒線は定刻運転でした!助かりました!
11時にようやく帰宅しました。
先程昼食を頂き、ようやく落ち着きました。
【今の率直な気持ち】
本当に、生きていてよかったです。
タイミングやB面の状況によっては、もしかしたら私も現場近くのエリアに出張していたかもしれなかったのです。
「何事もなければ、今頃博多にいたんだろうな...。」
と帰宅するときに思っていました。
また、地震が起きてからの時間の経つのが早く感じました。ニュースから聞こえる時間を聞くたび、
「もう1時間たったのか!」
と驚いていました。それほど気が立っていたのかもしれません。
まだ余震が続いています。また、現時点でも連絡がつかない人が何名かいます。もちろん、知っている・知らない人かかわらず、未曾有の災害で、たくさんの方が亡くなったり、お怪我をされたりしているのを、とても悲しく思っています。
亡くなられた方へ、謹んでお悔やみ申し上げます。
われわれは、命あるものとして、よりしっかり、前を向いて生きていきましょうね!
ここからは、また信条「書くならポジティブメッセージ」に戻ります!
いろいろあったけど、私は元気です!
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コメント
ご無事で本当に良かった。こちらも皆元気です。そうだね、みんなで協力して頑張ろう!
投稿: ボンダイブルー | 2011年3月14日 (月) 03:11
>ボンダイブルー さま
そちらも無事だったんだね!良かった。
こちらの周りもみんな大丈夫だよ!
私たちでやれることをやっていこうね。
投稿: Magnum | 2011年3月14日 (月) 07:03